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バッハを中心とするクラシック音楽についてどんどん書き込んでください。
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目次
過去記事 <<(全1000件)>>

From juncoop To at 2006 04/30 22:05 編集 返信

GW前半

皆さん、こんばんわ。GW前半はいかがお過ごしでしょうか?

私は、昨日から今日にかけて、ヨメと和歌山県の白浜へ休養に行きました。温泉休養は毎年のことで、今回は、白浜〜龍神温泉〜高野山のルートです。白浜の温泉と魚が旨いのは毎度のことですが、龍神温泉〜高野山 金剛峰寺はよろしいですね。弘法大師ゆかりの高野山はとてもいいところです。

今日もバッハの音楽を聞きましょう。


●バッハ/リュート組曲ハ短調BWV997

JAKOB LINDBERG(リュート)

1992/ブリリアント・バッハ・エディション

バッハのリュート作品は、BWV995〜1000、1006aの7曲が知られているのですが、無伴奏ヴァイオリンやチェロから転用されたものがあります。しかしこのBWV997は全くのオリジナルと思われ、4楽章から成っているのですが、とても渋い組曲で、私が最も好きなリュート組曲なんです。ぜひお聞きください。リンドベルグのリュートも優しい音色で聴いていてホッと安らぎますね。バッハの堅い作品を今日は聞きたくない時などは、リュート作品が安らいで聞けますね。


●バッハ/カンタータ第202番「悲しみの影よ消え去れ!」BWV202

アメリング(S)ラインハルト・ペータース指揮コレギウムアウレウム合奏団

DHM/1968年頃

結婚カンタータ第202番は、BWV173aと並んでとても美しい世俗カンタータですね。冒頭のオーボェソロを伴う、アリアを初めて聴いた時、なんて美しい曲なんだろうと感動したものです。バッハのカンタータは教会・世俗を問わずとても美しいアリアがあることは、前にも述べた通りで、BWV24、151、170なども名高いですね。202番はリヒター、シュライヤー、マリナーなどによる優れた演奏もありますし、古いのでは、クレンペラーとかミュンヒンガーによるモノラル録音もあります。しかしこのアメリングとコレギウムアウレウムによる演奏はとても素晴らしいですね。アメリングの歌唱がとても温かく、彼女のバッハ・アリアはミュンヒンガーやヴィンシャーマンの演奏でも聴くことが出来ます。アメリングによるアンナ・マグダレーナの小品集は素晴しく、BWV508は感動しますね。



From Skunjp To at 2006 04/29 07:13 編集 返信

ヴェルナーの慈愛

最近は、104番と85番をヴェルナーでよく聴いています。

ヴェルナーの104番は素晴らしいですね。ただしステレオ盤は持っていないので、モノラルで聴きました。これでも十分美しいです。特に第五曲のバスアリアを歌うケルヒが素晴らしい。テノールのクレプスもそうですが、この時代の歌手は現代の歌手とは違った人間的な魅力があります。

私は今朝、聞き比べに鈴木盤を聴きましたが、ちょっと比較できません。バスのマクロウドは非常に洗練されて美しいのですが、どこかツルンとして聞き応えがありません。ちなみに、これはコーイの歌で聴きたかった。コーイの歌唱は緊張した苦みと深みがあって良いです。昔はこの人、神経質であまり好きではなかったのですが、今は円熟していますね。

しかし大局的に見ると、やはり「世代間の価値観の差」は厳然とあり、昔の歌手に比べると現代の歌手はある意味物足りない。確かにテクニックや洗練度は段違いですけれど、クレプスやケルヒ、マクダニエルなどの心にジーンと来る歌唱を聴くと、「やはりここには掛け替えのないものがあったのだ」、と感じ入ります。

歌唱というものは基本的なところで、その人の「生き方、価値観」といったものが敏感に反映されます。昔の歌手達は戦争をくぐり抜けて来た人たちですが、それゆえのずっしりとした重みが演奏に現れるのでしょうか。・・・きっと沢山の涙があったことでしょう。



85番についていえば、これはヴェルナーの独壇場でしょう!

あのオーボエ2本で鳴き交わす導入を聴くと、いつも胸がキュンとなり、「夕空になみだながれ」という朔太郎の詩を思い出します。金色の夕映えの空高く、透明な涙が流れているのです。これは詩人の涙なのですが・・・

ヴェルナーの演奏に、私は「慈愛」を感じます。主にテンポ設定の妙なのでしょうが、さらにそれより深い何かがあるのでしょう。


ヴェルナーについては非常にいい話があります。junさんの方が良くご存じでしょうが・・・

(以下、あるサイトからの引用です)第2次大戦でマジノ線近辺の戦闘に従軍したヴェルナーは、その後ドイツ占領下のフランスにおけるナチスの音楽行政の責任者に任命されます。彼の数多くの職務のひとつに、フランス人音楽家を「勤労奉仕」のためにドイツに派遣することが含まれていましたが、実際には多くの人々がヴェルナーによってこの任務を免れた、といいます。

ヴェルナーは信念を持って占領下フランスの音楽界を支えつづけ、多くの人から慕われた『クラシック界のシンドラー』だったのです。(引用ここまで)


ナチスドイツ占領下のフランスで、オーボエのピエルロはじめフランスの音楽家を監督する立場にあったヴェルナーでしたが、ある時ピエルロの姿が見えなくなったそうです。その後、ヴェルナーは地方オケでオーボエを吹いているピエルロを発見しますが、不問に付したそうです。

ピエルロはこれを恩義に感じ、戦後ヴェルナーがカンタータの録音を始めた時、フランスの音楽家達を従えてプロジェクトに参加したとか・・・。実にいい話ではありませんか。

実際、85番には、ピエルロ、シャンボンのオーボエ、オンニュのファゴット(絶品!)、マリー・クレール・アラン(オルガン)の演奏が聴かれます。この他の曲では、アンドレのトランペット、ラリューのフルートが輝きを添えています。

また、同曲にはヴェンツィンガーのチェロピッコロ、バルヒェットのヴァイオリンなど聞き所がたくさんあります。


私は個人的にはヴェルナーがクリスチャンであるような気がしてなりません。あのにじみでてくる「慈愛」の感覚は、それ以外には考えられない気がします。

From juncoop To at 2006 05/01 15:26 編集 返信

バッハのお勧めカンタータと演奏

さて、バッハのカンタータが話題になってますが、私なりのお勧めのカンタータと演奏を紹介させていただきます。


●カンタータ第4番  クルト・トーマス

この張り詰めたような厳しさは、トーマスしかない!

●カンタータ第8番  フリッツ・ヴェルナー

天国のような優しい表現!

●カンタータ第10番 カール・ミュンヒンガー

ミュンヒンガーにしては珍しく緊張感のある演奏

●カンタータ第12番 カール・リヒター

嘆きのカンタータ・・・リヒターの素晴しさが光る

●カンタータ第21番 ヘルムート・リリング

全体的に調和が取れていて、しかも美しく、輝かしい。

●カンタータ第24番 カール・リヒター

リヒター! この荘厳さは、ただものではない!

●カンタータ第29番 ハンス=ヨアヒム・ロッチェ

シンフォニアは素朴であるが、堂々たる演奏。

●カンタータ第31番 フリッツ・ヴェルナー

ヴェルナーらしい温かさが感動する。

●カンタータ第34番 カール・リヒター

輝かしさとか情熱的といった点で、リヒターが素晴しい。

●カンタータ第39番 フリッツ・レーマン

この厳しい表現はレーマンしか味わえない。

●カンタータ第43番 ギュンター・ラミン

ラミンによる凄まじい演奏! リヒターのチェンバロが光る

●カンタータ第51番 カール・リヒター(シュターダ)

シュターダーのソプラノとリヒターの情熱的な演奏が素晴しい。

●カンタータ第54番 クルト・トーマス

54番の古今の演奏の中でも第一にあげたい演奏。ヘフゲンの歌唱とトーマスの重厚さが素晴しく、堂々たるもの。

●カンタータ第56番 カール・リステンパルト(Fディースカウ)

リステンパルトの情熱的な演奏が光る、モノラル録音。

●カンタータ第70番 カール・リヒター

リヒターの激しい緊張感が素晴しい!

●カンタータ第78番 フリッツ・ヴェルナー

ヴェルナーの優しさに満ちた演奏。

●カンタータ第80番 エルハルト・マウエルスベルガー

気品のある最高の80番、これを越える演奏は見当たらない。

●カンタータ第82番 クルト・トーマス

ここでもトーマスの緊張感が光る!


つづく




From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/28 19:43 編集 返信

GWへ突入! バッハ三昧!

皆さん、こんばんわ。 GWへ入りまして、ちょっと休憩ですね。バッハを中心に音楽を聴きたいと思います。

Ich habe genugさん

「こんにちは、今日カンタータ216番聴いてみました。 ジョシュア・リフキン指揮 バッハ・コンチェルティーノ大阪の演奏です。結婚カンタータらしく、軽やかで明るいメロディでした。ソプラノとアリアの2重唱がとても快かったです。チェンバロの通奏低音とレチタティーボがまるで、モーツァルトのオペラのようで楽しかったです。」

おお! 216番手に入れられましたか! 私はまだなんですよ。
いずれは216番は必ず手に入れます。鈴木さん録音してくれないかなあ?


「あと、BCJの138番も、もうすぐ到着します、jun氏のお薦めなのでとても楽しみです。」

BCJの138番は、私のお勧めではなくて、skunjpさんのお勧めですね、汗・・・。


一方、私が手に入れる予定は、もちろん、鈴木氏のBWV51とBWV1127をはじめ、ヘンデルの歌劇「ロデリンダ」、ボロディンの弦楽四重奏曲2番とか、いろいろでございます。楽しみなのですが、入荷するのは5月25日くらいだからまだまだ先ですね。

最近、私はバロックや古典の歌劇、特にヘンデルとグルックにはまっておりまして、いいですよねえ!

バッハと共に、ヘンデルとグルックも集めていく所存でございます。

今日はレーマンのバッハ/カンタータ39番を聞いてます。

それでは皆さん、GWをごゆっくりお休みください。


From juncoop To at 2006 05/01 15:27 編集 返信

ヴェルナーのカンタータその2

フリッツ・ヴェルナー指揮によるカンタータは、優れた演奏ばかりとは決していいませんが、ほのぼのとして、人懐っこい演奏で馴染みやすいですね。素朴とも言えます。リヒターのような厳しさとか情熱を求めると失敗します。しかし、バッハのカンタータには、厳しさを強調してほしい曲と、そうでないものとがあります。

たとえば、先にあげた39番、56番、105番、150番とか、厳しい演奏がいいかもしれませんね。でも、149番、104番、151番、8番、106番とかは、優しい演奏の方が、しっくりと来るのではないでしょうか? 34番とか43番、マニフィカトなどになると輝かしい、派手な演奏がいいかもしれません。

その点からいきますと、素朴で温かく、優しい曲こそヴェルナーの本領を発揮するのではないかと思ったりします。

例えば、200番の断片アリアなんですけれど、他の演奏より、ヴェルナーこそ、優しく美しい表現となっています。ヴェルナーの200番を聞かれたかたはたぶん同意していただけるでしょう! あの200番は優しさを強調したい曲だと思います。例えば逆にヴェルナーで105番を聞いた場合、レーマンとかを聴いたからには、ちょっと物足りなく感じます。それは105番が厳しさを第一に表現したい音楽と思うからです。150番はヴェルナーの場合、厳しさは感じませんが、なんとも悲しく響きます。この点はヴェルナーの表現が素晴しいですね。しかし180番とか140番といった優しさを表現する音楽でも荘厳な感じを表現するリヒターこそが抜群の解釈ではあります。ヴェルナーの2つの演奏は素朴で優しさはあるのですが、荘厳さには欠けますね。ヴェルナーもかなり録音しているのですが、198番、170番、54番を録音していないのが惜しまれます。147番とかは最高の演奏ですね。

カンタータは沢山ありますが。曲によって指揮者を変えて聴くというのは、とても贅沢かもしれませんが、それほど曲によって素晴しい指揮者がいることは事実です。


From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/27 20:13 編集 返信

ヴェルナーのカンタータを聴く

皆さん、こんばんわ。GWにそろそろ突入ですね。いかがお過ごしの予定ですか?

今日もバッハを聴きましょう!

ヴェルナーの演奏によるカンタータで、第21番から聴いてます。 21番は名曲ですから、演奏は問いませんのですが、ヴェルナーの解釈は厳しさというよりも、優しいですね。トロンボーンのパートは入っていません。苦悩の表現もとても柔らかく、のんびりと聴くことが出来ますね。南ドイツの音楽家の演奏はどこか温かい表現であるというのは、当たっている気がしますね。でも一時ミュンヒンガーの演奏はとても堅い演奏だったことも事実です。といいますのも、シュトゥットガルトのミュンヒンガーというイメージが強いのですが、彼は元々ニーダーザクセン交響楽団の指揮者で、ザクセン人だったと思われます。バーデンバーデン、バイエルンとかヴュルテンブルクの出身の指揮者たち、リリング、ヴェルナー、レーデルあたりはちょっと温かい感じがするのは錯覚ですかね?



From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/26 23:13 編集 返信

HMVの BWV1127の記事

Cantata.51 Ode Bwv.1127: Suzuki鈴木雅明 / Bach Collegium Japan 30

2005年6月にワイマールで発見されて話題となった大バッハ未知のアリア。ガーディナーにより一部が世界初録音されましたが、今回バッハ・コレギウム・ジャパンが全12節すべてを録音。キャロリン・サンプソンの美声を堪能できます。
 CDプレーヤーでも再生可能なSACDハイブリッドでのリリースで、CD層にボーナス・トラックとして「結婚カンタータ」(BIS-1411)からのアリアを収録。(キングインターナショナル)

J.S.バッハ:カンタータ全集 Vol.30
・カンタータ第51番『すべての国よ、神を誉め讃えよ』 BWV.51
・頌歌『神と共にすべての事に当り』 BWV.1127

 ボーナス・トラック[CD層に収録]
・『結婚カンタータ』 BWV.210〜「歌たちよ」

 キャロリン・サンプソン (S)
 バッハ・コレギウム・ジャパン
 鈴木雅明(指揮)

 SACD Hybrid

ということで、ガーディナーは一部の録音でして、鈴木さんは、全12節録音したことになりますだ。旦那!


From Skunjp To at 2006 04/26 20:29 編集 返信

OVPPの長所と短所

junさん、クイケンの187番は最近の新盤ではなく旧譜です。

クイケンの新譜、教会暦シリーズは買いましたが「ちょっと…」と思いました。これについては、そのうちまた詳しく。


さて、今日はこの187番の感想です。

これはとても素晴らしい演奏です。特に音楽の弾力的な推進力が心地よいです。オケパートも含めて、最近出た新譜よりはるかに良いです。

ただしクイケン初のOVPPであるこのCDは、OVPPの長所を感じさせると同時に欠点も浮かび上がってくるような演奏だと思います。

長所は合唱が各パート一人であることによって、対位法的に通常より強く鋭く切り結ぶので、音楽的に目覚ましい活気が出ることです。

欠点はそれと裏腹に、歌手の個性というかベクトルが揃っていないと、声楽パートがいたずらに「軋んだ」ような感じになりやすいことです。クイケンの場合、ソプラノの鈴木みどり、アルトのコジェナーと名歌手を揃えたのは良いのですが、方向性が一致していません。バスもちょっと違うし、テノールに至っては全く異質で、何でこのチョイスがあったんだろう、と不思議に感じます。…違和感はコラールに最も強く出ます。

それで結論としては、「OVPPという編成は非常に難しい形態なのではないか」、ということです。

つまり、歌手の選択が名歌手を揃えればよいというのではない点。これは普通の重唱でも同じかも知れませんが、合唱パートをひとりずつ歌うのですから、一段と高い同質性とバランス感覚が要求されるのではないでしょうか。

これはともすれば、歌手の個性を殺してしまう方向に行きかねないことになり、ひいては個性の強い名歌手がOVPPの元では生き残れない、という大変な事態になるとも思います。


※それとBVW1127ですが、鈴木盤の演奏時間を見ると40数分になっています。一体何回繰り返したんだろう?もしかして全曲?それだとよほど工夫がないと聴けないかもしれません。この曲は、ほどよい長さ(繰り返し)のガーディナーが素晴らしいと思いました。

From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/25 21:28 編集 返信

今日の音楽

皆様、こんばんわ、juncoopです。

skunjpさんの指摘があった、「クイケンのカンタータ94番と、187番。それから鈴木さんの138番」

聞いてみたくなりますね。 クイケンの場合確かSACDですから、買っても聴けないのが惜しまれる。
ところで、鈴木がとうとうBWV1127を出しましたね。この曲は最近発表になった話題のある作品ですね。BWV216と並んで、ちょっと聞いてみたいバッハの作品です。鈴木さんで手に入れることにしました。BWV1〜1126まで集めている者にとって、バッハの作品が新たに1曲増えるというのは嬉しいことです。

ところで、私は最近、自分に役立つ勉強として、FP2級あたり勉強しようかなどと思ってます。本当は司法関係に挑戦したかったのですが、合格率が3%の国家試験なんて受かりっこないですね。FPですと、自分の資産運用とか将来のことをいろいろと計画する上で役立つし、仕事していく上でもいい勉強になると思います。ちょっと検討中ですね!


【今日の音楽】


●バッハ/カンタータ第105番「主よ、裁きたもうことなかれ」BWV105

フリッツ・レーマン指揮ベルリン・フィル/ベルリン・モテット合唱団

この曲は全曲とも素晴しいのですが、冒頭合唱を聴くだけでも十分な聞き応えのある曲ですね。苦悩に迫る冒頭と合唱フーガの厳しさ! ただ感動するばかり・・・何も言葉など要りません。



From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/25 14:45 編集 返信

RE:鈴木雅明氏 と カール・リヒター

こんちわ、 Ich habe genugさん

>こんにちはjun氏、鈴木さんのカンタータ好いですね。

鈴木さんの、カンタータ第190番最高に格好いいです。


>アーノンクールやレオンハルトで聴いていたのですが。そろそろ他の演奏も聴きたくなってきました。最近鈴木氏率いるバッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータが気に入っています。

最近、私もアーノンクールやレオンハルトのカンタータはよく聞いてます。古楽器もモダン楽器もそれぞれ良さがありますね。鈴木とかヘレヴェッヘは合唱の扱いが美しいです。


>それはまるでバロックがロマン派になったような、柔らかな音色とハーモニーにでした。もうチョット欲を言うならばリヒターのカンタータそして合唱が素晴らしく、BCJにそれがプラスされたら言うことないですね。(^^;)

そうですね。鈴木さんのはちょっとおとなしめで、私は力強さとか緊張感がほしいですね。リヒターのようなロマン的解釈とか、好きですね。あれがロマン的がどうかもありますがね。でも情熱的ですし、感動しますね。


>Jun氏が 書き込みしてくださったカンタータもメモして機会があれば購入したいと思っています。

ぜひ聞いてみてください。 Ich habe genugさんは古楽器がお好きなようなので、モダン楽器をどう思われるかはわかりませんが、リヒターの140番とか、リリングの21番とかお勧めですね。


>リヒターの21番も素敵でした。 ヘレベッヘでも聴いてみました。本当にカンタータはワタクシに勇気、安らぎ、叱咤、喜び感動を与えてくれます。


21番は作品が優れていますので、感動しますね。はじめの悲しい苦悩のオーボェから始まりまして、苦悩の合唱やアリア、第2部の魂とイエスの愛情のこもった美しい対話、そして最後の歓喜、最高ですね。


>幸せですこんな作品がこの世にあったこと感謝したい気持ちで一杯です。(^_^)/(^o^)


激しく同意しますね。 バッハのカンタータていいですね。


From Skunjp To juncoop5@goo at 2006 04/24 17:09 編集 返信

やっぱりカンタータは素晴らしい!

土日はカンタータばかりを聴いて過ごしました。

クイケンのカンタータ94番と、187番。それから鈴木さんの138番。

…これらのカンタータは生活者の苦悩を描いています。まあ、いわば「食っていくための苦労」ですね。 (^_^;)

特に187番などは、マタイ伝6章の有名な聖句が丸ごと出てきます。



マタイ伝6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。

しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。


…これらのカンタータを聴いて非常に勇気が与えられました。

やっぱりカンタータは素晴らしい!

From juncoop To at 2006 04/23 21:14 編集 返信

情熱的とか、苦悩とかと言えば

そう言えば、情熱的とか苦悩に迫った素晴しい作品て結構ありますよね。

●グルック/アルチェスタ序曲

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル 1951

他の演奏で聞いたことはないのですが、この演奏かなり胸に迫る!

●ベートーヴェン/コリオラン序曲

●ベートーヴェン/エグモント序曲

ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィル 1957 

ケンペの演奏も情熱的で感動しますね。他の演奏と比べてかなりの緊張感があります。

●ヘンデル/合奏協奏曲第10番ニ短調OP6−10

リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団

活気があり緊張感があると言えばリヒターですよね。こういう演奏が出来るのはリヒターとかカルロス・クライバー、フルトヴェングラーくらいでしょうか?

●メンデルスゾーン/交響曲第3番スコットランド

クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

長年の名盤と知られるだけにクレンペラーのスコットランドの苦悩に満ちた演奏は、他で聴けない感がある。



From juncoop To at 2006 04/22 23:42 編集 返信

最近、ちょっとはまっている、グルック

皆さん、こんばんわ、お休みはいかがお過ごしですか?

今日は、嫁が元気ないので、京都の西舞鶴へ二人で海を見に行きまして、トレトレ市場で高い海鮮丼ご馳走させられて、案の定、日本酒1合お銚子で飲むものですから、往復運転させられました。
まあ会社が業績悪いことを嫁にも伝えていますので、将来を案じているのですね。可哀相な嫁・・・。

そんな心境の中、私も決して穏やかではないのですが、
グルックの切羽詰まった、苦悩に満ちた音楽にはまってます。

グルックの歌劇オルフェオはとてもはまってます。特にリヒターが指揮したものいいですね。序曲は元気よく古典派らしくてとてもいいのですが、その後つづく冒頭合唱が素晴しい苦悩を歌います。それは、エウリディーチェが亡くなって、嘆き悲しむオルフェオの姿を嘆く苦悩に満ちた合唱なのです! 胸に迫ります。

それから、グルックの歌劇アルチェスタの序曲、これはフルトヴェングラーの指揮で聴いていますが、これまた胸に迫る苦悩がありますね。感動します。こういう苦悩の音楽に感動する私は、やはり正常な心境ではないと思います。

しかし、グルックの音楽は、苦悩と優雅と美しさで、とてもいいですね。私ととても相性が合う作曲家です。これからはグルックを集めて行こうかなあと思ったりしますね。

それから、何度聞いても、感動が止まないのがヘンデルの合奏協奏曲第10番作品6−10ですね。この曲も苦悩に満ちた悲壮感があります。フルトヴェングラー、カラヤン、リヒターによる重厚な大編成オーケストラによる演奏でないとこの悲壮感は味わえません。3つともお勧めの演奏です。


ではおやすみなさい。



From juncoop To at 2006 04/22 20:08 編集 返信

カール・リステンパルト

Karl Ristenpart
カール・リステンパルト

1900 Kiel 〜?

 1900年北ドイツのキールに生まれ、ベルリンに赴き、同地のシュテルン音楽院で学ぶ。卒業後1923年に自分の管弦楽団を組織し、この指揮及び指導にあたっていたが、1933年よりベルリン放送局の指揮者となり、1939年までこの職にあった。1946年より RIAS交響楽団の指揮者となり、その後ザール室内管弦楽団の指揮者となった。録音はアルヒーフにバッハ、ヘンデルなどがある。


リステンパルトの演奏のご紹介

バッハ

●管弦楽組曲全曲

●ブランデンブルク協奏曲全曲 

●トリブル・コンチェルトBWV1044

●3つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1064a

●2台〜4台のチェンバロための協奏曲BWV1062〜65

●フーガの技法第1回、第2回録音

●マニフィカトニ長調

●カンタータ第56番、第82番 フィッシャー=ディースカウ

●カンタータBWV56、82,140,169,211,212

●モーツアルト/ハフナー・セレナーデ、アイネクライネナハトムジーク

全てカール・リステンパルト指揮ザール室内管弦楽団

エラート/日本コロンビア/アコード/アルヒーフ

From juncoop To at 2006 04/22 00:41 編集 返信

レーデルのブランデンブルクで思い当たる事

クルト・レーデルのブランデンブルク全曲は、確か2回録音してましたね。エラートからです。両方共。

まず1回目は、確かモノラル録音だったかな?? 定かではない。

アドルフ・シェルバウム(tp) ピエルロ(ob) バルヒェット(vn)又はレッティ(vn)かも。

2回目の録音は 確かに1962年録音です。エラート

モーリス・アンドレ(tp) ピエルロ(ob) ヴェイロン=ラクロワ(cem) バルヒェット(vn)

この2種しかないはずですけどね・・・・。

1967年の録音とは初耳の話ですね。 ライヴ録音とかならあり得るかもしれませんが。

●ミュンヘン・プロアルテ室内管弦楽団の前は、確か、コレギウム・プロアルテだったはずで、オーボェのヴィンシャーマンとかと組んでいたらしいですね。 レーデルは1回目のフーガの技法では、なんとカール・リヒターとも録音していたらしいです。

謎の多いフルート奏者兼指揮者のクルト・レーデル。

●レーデルはバッハの宗教音楽も録音していまして、カンタータ6曲、マニフィカトもLPでありました。3枚ともモノラル録音。

●それからレーデルの得意分野は、テレマンでして、協奏曲集やマルコ受難曲を録音していましたね。

●珍しい録音では、ピエール・コシュローのオルガンとレーデルのオーケストラで、PHILIPSからバッハのオルガン協奏曲(独奏用でヴィヴァルディの調和の霊感より編曲したもの)をまたまたオーケストラを付け足した、珍しい録音がありました。まあ要するに、ヴィヴァルディのヴァイオリン・ソロがオルガンになっただけなのかもしれませんね。 ようわかりませぬ。

●それからレーデルがドレスデン国立管弦楽団と録音した、バッハの2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲集全曲の録音がありまして、ソリストは、なんとアールグリム、ピシュナー、ルージィチコヴァ、ヴェイロン=ラクロワでしたから、これまた豪華ですね・・・。残念ながらこの録音は未聴なんです。これだけの名手のチェンバリストが揃った共演は二度とないでしょうね!欧州中の有名奏者ばかり。たぶん廉価盤で一部PHILIPSから出ていたと思います。

●レーデルの管弦楽組曲全曲 BWV1070 第5番付
アンドレ(tp)レーデル(fl)ホカンソン(cem)
PHILIPS
この録音は、かなり録音自体悪いのですが、いい演奏ですね。
5番が入っているのも珍しいです。アンドレのトランペットが入ると、かなり洗練されますね。マゼールの録音でもそうでした。

●レーデルはその他、Lモーツアルトやヘンデルなども録音していましたし、バッハのカンタータなどのオーケストラ編曲集も数種類ありました。

レーデルの指揮にかかると、とても温かいバッハを聞かせることが特徴で、私は好きですね。

エラートやコロンビアの録音で、レーデル、ヴェルナー、リステンパルトなどのバッハ指揮者の演奏は本当に温かいですね。


From Skunjp To at 2006 04/21 19:28 編集 返信

レーデル/ブランデンブルクのミステリー

junさん、そうですね。 …すべてに時があると思いますので。



さて、今日は非常に不思議な出来事を皆さんにお知らせします。

実は、先日熊本に行った際に中古レコード屋でレーデルのブランデンブルク協奏曲(例のエラート・アニバーサリーのリマスター盤)が格安でありました。

私はすでにレーデルのブランデンブルクを昔の廉価盤CDで持っていましたが、音が良いかも知れないと思って買いました。うちに帰ってワクワクしながら鳴らすと…

音がそれほど良くない…!

演奏もどこか活気がない…!

3番のつなぎのアダージョ(即興)が全くちがうバージョン!

…これは別物の演奏では?と思い、演奏時間を比べました。

すると、アニバーサリー盤と手持ちの盤が違うではありませんか!

細かく聞くと演奏のニュアンスも録音会場の雰囲気も微妙に違います。演奏者は同じなのですが…

録音年を確認しました。アニバーサリー盤が62年録音。手持ちの盤は何と67年録音。これはあり得ません。だってバルヒェットは62年に交通事故で死んでいるのですから!

…全くこれはミステリーです。

この件につき、詳しい方は情報を教えてください。m(_ _)m




From nujikoa To juncoop5@goo at 2006 04/20 23:54 編集 返信

最近の音楽

プチごぶさたしております、最近は音楽的にはちょっとネタ切れ気味です。

とはいえ毎日ガンガン聴いており、んーと・・・最近聴くのは、ジャンルにかかわらず、スペインにつながっていく音楽が多いかな?という感じです。

juncoopさんがだんだん快復されているようでなによりです。私はといえば仕事ではここのところ、心の問題はとにかくとして、カラダに来る・・・きついっす(;;)

またそのうちネタ仕入れてきますっ!(^^

From juncoop To at 2006 04/20 22:25 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんわ、お元気ですか?

まあ私の方なんですけれど、かなり心身とも健全になりつつあります。ひとえに、仕事がなんとか運んでいることと、皆さんとの対話が充実しているとかそういうことが影響しているかもしれません。私が参っているときは、音楽も聞けないし、ここであまり語れないのが事実ですね。

Ich habe genugさん、skunjpさん、大いに語っていただきまして有難うございます。ますますバッハの音楽に夢中になれそうな気がする・・・。

Ich habe genugさんには、ぜひ聞いて欲しいのが、ご存知かもしれませんが、このHPの推薦盤CDにあげてある、カール・リヒターのオルガン演奏で、フライベルクのジルバーマンオルガンを弾いた、アルヒーフレーベルから出ている、トッカータとフーガニ短調BWV538【ドリア調】とトッカータとフーガへ長調ですね。録音は1964〜78年頃です。これを聴くと、その緊張感のある劇的表現に驚嘆と感動を覚えますね。このフライベルクのジルバーマンのオルガンの響きは最高だと思います。

skunjpさん、多く語っていただきまして感謝しています。まだまだ私は神の御座の前に進むことは出来ませんが、バッハを通して、神とイエスキリストに少しでも近づいて行けたらと思ってます。【生きておられる神様に「もう苦しいです。助けてください!」と、自分の人生をゆだねるわけです】
今の私は、まさにそう言いたい気分です。私はケルヒ【教会】には行きませんが、バッハの作品を聞いて、ちょっとずつ聖書を読んで、1人で静かに礼拝していきたいと思います。


【今日の音楽】


●ヘンデル/オラトリオ「マカベアのユダ」Judas Maccabaeus HWV 63
演奏者 : Wunderlich Fritz (Tenor) Welter Ludwig (Bass) Pold Naan (Tenor) Giebel Agnes (Soprano) Falk Julia (Mezzo Soprano)
指揮者 : ラファエル・クーベリック指揮
楽団 : バイエルン放送交響楽団/合唱団

マカベウスのユダをここんところ、毎日聞いてます。いいですねえ、クーベリックは。同じオラトリオメサイアのように美しく素晴しいとまではいかなくても、なかなかいい作品です。これは将来、私のお勧め盤になるかもしれませんね。それからヘンデルの歌劇とオラトリオは少しずつ集めていきますので、いい作品は皆さんに紹介していきたいと思います。いやあ、ヘンデルはいいですねえ。


★ところで、最近、日向さんとnekonyaさんの姿が見えないが元気にしてますか? 元気なら書き込みしてね・・!

From Skunjp To at 2006 04/20 17:50 編集 返信

お返事のお返事

>この部分が凄いですね。なぜそう思えたのか・・とても聞きたくなりますね。私もそう思えるようになるといいのですが、信心深くないので、そうはならないのかもしれませぬ。


juncoopさんがこう言われる以上、お答えしないではおられません。

「いい加減このやりとりは疲れた」、とおっしゃるかもしれませんが、本当に核心の部分なので、もうちょっと話をさせてください。

…なるべく簡潔に書きます。


多くの人は「イエス・キリストを信ずる」ということを勘違いしていると思います。

「信ずる」と言うことは、イエス様について「何か解って」、あるいは「何かピンと来て」、ないしは「そうか!やっぱり」と理解できて信じるのではありません。

なぜなら、私たちは頭で考えて解ることを「信じる」とは言いませんよね。「これはコップだと信じます」とか、「私は日本人であると信じます」とは言いません。

信じるということは、こういう場合に使うと思います。つまり、「私はあなたを信用するに足ると信じます」という場合です。相手についてすべてを知っているわけではないが、「あなたが私に言っておられることは信ずるに足るから、私はあなたを信用しましょう」ということです。「見る前に跳ぶ」ということですね。

そしてそれは、「何かを狂信的に思い込む」というのでもありません。私たちは理性を働かせて聖書を読み、マタイ受難曲などを聴いて、イエス・キリストについて判断しなければなりません。そして「どうも信ずるに足るお方のようだ」と思えたら、「あなたを信じます」と、思い切って口に出すわけです。…これが祈りです。

そうすると「救い」がやってきます。人生の重荷がすべて肩から落ちます。私たちは祝福の人生を歩み出します。ただし、これは私たちがそう思い込んで、自分をそういう状態にしむけるのではありません。私たちが神様に祈れば、神様の側からの不思議な力で、私たちの状態を、そのようにしていただけます。なぜなら神様は生きておられるからです。生きておられる神様に「もう苦しいです。助けてください!」と、自分の人生をゆだねるわけですね。



…もちろん、選択は自由です。それは人生で最も重要な選択になることでしょう。


ブラームスのバラードOp10は本当に良いですね。割と初期作ですが。本当に心に染みます。これを聴いていると、神様が私たち人間の弱さを知っていてくださる、そのようにも思えます。

From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/19 21:20 編集 返信

skunjpさんの言葉

skunjpさん、貴方の体験談の書き込み有難うございます。なんとなく判ってきたような気がします。でも自分にはとても難しいことです。


「高校の音楽室にあった56番と82番のセット。F・ディースカウとリステンパルトが演奏したLPでした。」


この演奏、私もCDで持っています。感動しました。重々しいチェンバロの伴奏で、リステンパルトのモノラル録音の素晴しさに、もう言葉がありません。この演奏は同曲でも首位に上げたいほどです。


「私の人生で大きな事件や心痛む出来事があるたびに、そのLPを聴いたものです。そして涙とともに癒され不思議な平安に満たされました」

全く私もそのとおりでした。今後の人生でもいろいろと苦しみますので、私の生涯は一生バッハの音楽が鳴り続けると思います。


「こう祈りました。「イエス様、私の罪を赦すために十字架にかかってくださったことを感謝します。」こう祈った後、それまでずっしりと重かった肩の荷がスーッと下りてゆきました。この時からです。今まで灰色だった人生が、バラ色に輝き始めたのは。」


この部分が凄いですね。なぜそう思えたのか・・とても聞きたくなりますね。私もそう思えるようになるといいのですが、信心深くないので、そうはならないのかもしれませぬ。



【今日の音楽】


●ブラームス/ピアノ四重奏第1番ト短調作品25

●ブラームス/バラード作品10

エミール・ギレリス(P)アマデウス四重奏団

ドイツ・グラモフォン/1971年


●ボロディン/交響曲第1番〜第3番

アンドリュー・デイヴィス指揮トロント交響楽団

SONYクラシックス


今日はブラームスとボロディンを聞いています。特にブラームスの作品25と作品10は初めて聞いたのでゆっくりと聞き込みたいと思います。そのためまだ言葉は見つかりません。ただ渋いですね・・・やはりブラームス。




From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/19 20:36 編集 返信

RE:Bachの作品

Ich habe genugさんこんばんわ。

「ワタクシの大好きなカンタータは 21番・54番・82番・156番・170番・208番の第9曲や212番のアリアも好きです。まだまだたくさんありますね。」

いいカンタータが並びましたね。21番は苦悩を通じての歓喜という感じで素晴しいですね。リリングがお気に入りです。
それから、第54番! 最高ですね。クルト・トーマスかリリング、レオンハルトで聴いてます。82番も素晴しいですね。クルト・トーマス、リヒター、リステンパルトのモノラルなんていいですね。156番は確か、有名なラルゴがシンフォニアになっている曲ですね。とても人気があります。170番の冒頭アリアはバッハのアリアの中でも、最も美しい曲ですね。シェルヘンかマリナーがお勧めですね。208番は、「羊は安らかに草を食み」というリコーダー2本のアリアが美しいですし、212番の農民カンタータは、傑作のアリアが沢山ありますね。シュライアーやマリナーの指揮したものがお勧めですね。カンタータはかなりの傑作がありますので、有名な4番、51番、56番、80番、140番、147番は忘れることは出来ませんし、渋い作品なら12番、39番、105番、150番とかいいですね。美しいアリアなら、149番、151番、173番a とかいいですよね・・。牧歌的な104番や180番とあげだしたら、キリないですね!


「早速ノイマイスターオルガン曲の1099番も聴いてみました。」


すみません、私が書き込みしたコラールは、BWV686です!
オルガンコラール「深き苦しみの淵より、われ汝に呼ばわる(Aus tiefer Not schrei' ich zu dir)」BWV.686〔※6声!〕
ぜひ聴いてみてください。題名通り、苦悩の叫びが聞けます。


「私はオルガン曲でしたらオルゲルビュヒラインのコラール“われら悩みの極みにありて”BWV641をよく聴いています。どちらも好い曲です。」


オルゲルビュヒラインはいいですね。BWV641をさっそく聴いてみます。私はこの作品集の中で、受難のコラールと言われるBWV618〜622と、有名なBWV639がとても好きでして、ぜひ聴いてください! BWV618「おお罪なき神の小羊よ(O Lamm Gottes unschuldig)」の優しさは、癒しそのものです。それからBWV622の「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け(O Mensch bewein' dein' Sunde gross*)」も癒されますね。


「あと、何番だったか忘れましたが、カンタータ13番や44番等のコラールや マタイ・ヨハネ・クリオラ・等にも使われているコラールですがオルガン曲にもありましたね、それが好きでした。探し出して何とか購入出来たらと思っていますがタイトルもナンバーも忘れてしまって悔しい思いをしています。」


さっそく聴いてみます、それだけ使用されているコラールならたぷん察しがつきますね。一度調べてみます。



「J.S.Bachがjuncoop氏のイエスだなんて素敵だと思いました。」


本当にそう思います。バッハの音楽は我が救いですね!


「ワタクシもそうなれば、もっと我慢強くなれるでしょうか?そうあるならばJ.S.Bachを愛して行くことが出来るでしょうね。生涯 バッハをずっと知りたいと思い続けられるような気がしています。もっと近寄りたいです。」


まず、私が思うのは音楽は我慢して聴かなくていいと思ってます。何度聴いても、判らないとか理解出来ない音楽は、結局自分には嫌いな音楽なんです。それは十人十色ですね。他人がいいと思う音楽が決して自分にとっていい音楽とは限りませんね。自分の愛する音楽は、本当に聞きたいから素直に聴くという感じですね。バッハといえども、聴くに耐えない難しい音楽とか駄作があるのは事実なんです。私はバッハでもそういう作品は全く聞きませんし、飛ばしてしまいますね。でも全作品を聴いてみたいと思うのは、ただ1人バッハだけでした!!


From Skunjp To juncoop5@goo at 2006 04/19 16:12 編集 返信

僭越ながらお答えします

>イエス・キリストに向かって自分の全ての罪を告白することによって、本当に罪は許されるのでしょうか?
 これは長年私が疑問に思っていることなんです。


juncoopさんのこの疑問に対しては、空疎な議論ではなく私の生きた体験を語るのが最もふさわしいと思います。
…それは、そもそもカンタータから始まりました。



私は最初に聴いたカンタータについて鮮明に記憶しています。それは高校の音楽室にあった56番と82番のセット。F・ディースカウとリステンパルトが演奏したLPでした。


その頃の私は音大に進むことを決めていましたので、よく授業をさぼって音楽室にもぐり込み、勝手にそのレコードを聴いていました。今思えば大胆なことをしたものですが、このように私とカンタータの出会いは学校の音楽室のおかげです。

このレコードは私の大のお気に入りになり、自分でもLP(リヒター)を買ってよく聴きました。当時クリスチャンではありませんでしたが、歌詞を見ながら56番を聴くと涙が止まりませんでした。


その後、私の人生で大きな事件や心痛む出来事があるたびに、そのLPを聴いたものです。そして涙とともに癒され不思議な平安に満たされました。「この癒される感覚はなんだろう?」とずっと思っていました。

私は音大に進み、オーケストラに入団しました。音楽家としては最初こそ順風満帆の人生でしたが、次第にプロの生活になじめなくなり、ある時、逃げるようにしてドイツに留学しました。


ドイツで私は完全に行き詰まりました。そして導かれるようにして出会ったドイツ人宣教師から、イエス・キリストの十字架の救いを聞いたのです。

「イエス・キリストは私のすべての罪、わがままのために十字架にかかって身代わりの死をとげてくださった。私はそのおかげで、このイエス・キリストを救い主と信じるだけで、すべての罪が赦されて神の子とされ、天国への切符がいただける」


宣教師のこのことばは頭で考えてもピンと来ませんでした。少しも理解できませんでした。しかし、信仰は人間の理解を超えた地点から始まることに思い至りました。私たちは、頭で考えて解ることを「信ずる」とは言いません。信仰とは、目に見えぬ未知の世界への思い切った跳躍なのです。そしてまた、私はこうも思いました。「あのバッハが信じた神様を信じてみたい!」

そこで私は宣教師のあとに付いてこう祈りました。「イエス様、私の罪を赦すために十字架にかかってくださったことを感謝します。」こう祈った後、それまでずっしりと重かった肩の荷がスーッと下りてゆきました。この時からです。今まで灰色だった人生が、バラ色に輝き始めたのは。

あれから22年が経ちました。信仰の喜びは薄れるどころかますます強くなり、イエス・キリストへの信頼は今や固い確信にまで変わりました。


…信じるだけで救われる。それはひどく虫の良い話で、「神様それ本当?」と疑ってしまう気持ちは良くわかります。しかしそれは人間の側の理屈であって、神様は「救うよ」と約束しておられる。だから福音(=Good News)なんです。私がその証人です。


ローマ書10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


※Ich habe genugさん、はじめまして。おっしゃるとおり、juncoopさんの「私にとってバッハの音楽はイエス・キリスト」は本当に素敵なことばですよね。バッハの音楽は神様からの「愛のプレゼント」だと私は思っています。

From juncoop To at 2006 04/18 21:29 編集 返信

キリストの言葉とは?

★skunjpさん、こんばんわ。
私は、聖書については学校で教わってきたので少々は知っているのに過ぎないのですが、あえて言わせてください。いつもこの部分がわからないのです。

【人はなかなかイエス様の元に行かない。自分の罪に光が当てられることを恐れるからです。そこで苦難が用いられます。人は苦難を通して、もはや救い主が必要であることを痛感し、イエス様のところに行きます。すると、イエス様はこう言われるのです。「あなたの罪は私が十字架の上であがなった。私の手と足の釘あとを見なさい。脇腹の刺し傷を見なさい。これはあなたの代わりに私が身に負ったものです」そこで人は、自分の罪がすでに完全に赦されていることを知ります。イエス・キリストを救い主と信じることを通して】

つまり【人は、自分の罪がすでに完全に赦されていることを知ります】の部分。

私はパリサイ人のような質問をしますがあえてお許しください。なぜイエス・キリストを信じることが、その人の罪を許されるのでしょうか? どんなに罪深い人がイエスを信じることによって、本当に許されていいのでしょうか?即ち、イエス・キリストに向かって自分の全ての罪を告白することによって、本当に罪は許されるのでしょうか? これは長年私が疑問に思っていることなんです。

ぜひ回答をお願いします。 私も罪深いと自分では思っています。


★Ich habe genugさん。
リヒターのマタイ・・・言葉が見つかりません・・。感動の一言です。ぜひリヒターのマタイのDVDを見てください。それだけで十分だと思っています。リヒターのマタイはどんなに言葉をならべてもその素晴しさを表現する手段はありません。理屈ぬきで素晴しいですね。

「色々と辛い昨今の社会情勢ですが、お互い美しい音楽で乗り切って行けたらと思います。 J.S.Bachは素晴らしいですね。」


私は、これまで辛いことが沢山ありました。しかしバッハの音楽を聞き、チェンバロで弾いて、慰められたのです。
キリスト教徒がイエスを安らぎと考えるとすれば、私にとってバッハの音楽は、イエス・キリストそのものなんです。
私はバッハにこう言われたのです。
「重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」


「ヘンデルやデュファイ・パレストリーナなどに心が動いてしまう今日この頃です。」

ヘンデル・・・バッハと並ぶ偉大なバロック時代の作曲家ですね。ヘンデルの音楽は、今はバッハよりよく聞いている方なんです。雄大さ、スケールの大きさ、純粋な美しさ、濁りのない透明感、安らぎなど、バッハとは全く違う素晴しさや輝きがありますね。私は生涯においてバッハとヘンデルの音楽に出会えたという幸せをつくづく感じます。




From Skunjp To at 2006 04/17 23:41 編集 返信

わたしの荷は軽いからです

junさん、私の説明が下手で済みません。

私は先の投稿で次のように書きました。

(↓)
つまり、「救いとは個人的なものである」ということです。聖書が語るには、それは結局、神様と私たちの個人的な関係なんです。神様はすべての人に等しく、いろいろな方法を通して語りかけておられる。私の所に来なさいと…。そのひとつが「苦難」かもしれません。


・・・これはどういう事かというと、人はなかなかイエス様の元に行かない。自分の罪に光が当てられることを恐れるからです。

そこで苦難が用いられます。人は苦難を通して、もはや救い主が必要であることを痛感し、イエス様のところに行きます。

すると、イエス様はこう言われるのです。

「あなたの罪は私が十字架の上であがなった。私の手と足の釘あとを見なさい。脇腹の刺し傷を見なさい。これはあなたの代わりに私が身に負ったものです」

そこで人は、自分の罪がすでに完全に赦されていることを知ります。イエス・キリストを救い主と信じることを通して。

イエス様を信じた者の人生には平安が訪れます。
もちろん人生の苦難はありますが、もはや以前のような底なしの苦しみではありません。それは救い主と伴に歩む道のりなのです。

「私のくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」とはそういうことです。イエス様が共に重荷を背負ってくださるからです。

これは、私の体験から話しています。



マタイ伝11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/17 22:34 編集 返信

わたしがあなたがたを休ませてあげます。

皆さん、こんばんわ・・毎日不安と戦いながら生きてます。

skunjpさんの聖句
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」

このマタイによる福音書を読んだ時、なんて優しい言葉なんだろうと、今の私は感じます。傷ついているからこそ、余計にそう思うのでしょうか。まさか 私のところに来なさいというのが苦難を意味するとは・・・。それは安らぎを意味するものではなかったのですね。

私は・・逃げるのではないのですが、この苦難に満ちた現在において、ただ休みたいのです。仕事の休みが欲しいのではなく、ただ安らぎたいのです・・。仕事が休みでも安らぐことはありません。


【今日の音楽】

昨日、グルックのオルフェオを見たのですが、コヴェントガーデンの演奏は、ちょっと線細めでした。リヒターの重厚で緊張感がある演奏を思うと、ちょっと残念でした。エウリディーチェを失ってのアリアは、あんなに美しいのに演奏はちょっと軽めだつたので感動は半減しました。しかし歌劇の全部の筋や歌詞がよく判ったのが幸いでした。短い歌劇ですが、音楽がとても美しいです。

一方、ミュラー=ブリュールによるアルト・カンタータ集なんですけど、うーん、まあまあの出来ですね。どう聴いても古楽器に聞こえるのですが、よく聴くとモダン楽器にも聞こえるし、最近のケルン室内管弦楽団がよくわかりませぬ。 どうもリリングとルーシンクをたして2で割ったような演奏だったです。選曲がいいので、また聞きたくなりますね。でも、54番はトーマスが素晴しいし、170番はマリナーが美しいし、200番はヴェルナーの美しさにはかないますまい。

クーベリックのヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」なんですが、ただいま聞きこみしています。さすがヘンデルだけにいいですね。合唱やアリアの美しさ、苦悩は、やはり素晴しいです。まだまだ聞き込みしなければなりません。ギーベルの美しさやヴンダーリッヒの歌唱は素晴しいですね。


From Skunjp To at 2006 04/17 11:58 編集 返信

復活祭のカンタータ

juncoopさん、皆さん、お久しぶりです。

子供が怪我をしたりでバタバタしておりました。その後、しばらく九州地方を旅していましたので、完全にこちらがお留守になってしまいました。

最近は、復活をテーマとするカンタータをよく聴いています。

今朝はBCJで67番を聴きました。

復活がらみのカンタータはどれを聴いても心がウキウキしてきますね。

やはりテーマがテーマだけに自然とそうなるのでしょう。

私は、「十字架と復活はワンセット」だと思います。

十字架だけでは本当の喜びはありません。

キリストが復活された!…ここに究極的な喜びがある。

死者の復活なんて、私たちの理性、常識では考えられませんが、はたして人間の理性、常識が万能かというと、ちょっと違う気がします。

いつまでたっても戦争をやめない人類。自分を振り返っても、少しのことで争ってしまう性質を持つ人間というものの限界…

神様に不可能がないのなら、処女降誕、復活、水の上を歩く等がありえることは理の当然だと思います。

ちなみに、復活祭のカンタータというと…

ライプツィヒ1年目の BWV 67

ライプツィヒ2年目の BWV 6、42

ピカンダーがらみの  BWV 145

初期の BWV 4、31

ケーテン時代を起源とする BWV66、BWV134



さて、juncoopさんの下記の問いかけにお返事をしていませんでした。

>では企業というのは、1つの集団であり、社員や協力会社の家族までも養っています。その企業が滅ぼされる=市場から追放される。というのは、まさに神に滅ぼされるような物です。それではあなたがたは、企業という船と共に全力を尽くして共に沈むのか?それともノアの箱舟のように自分だけは、救われるのか?
どの道を選択するのでしょうか、あるいは時代の運命に選択されるのか? skunjpさんの解釈よろしくお願いします。


非常に難しい質問です。私の答えは簡単ですが次の通りです。

つまり、「救いとは個人的なものである」ということです。聖書が語るには、それは結局、神様と私たちの個人的な関係なんです。神様はすべての人に等しく、いろいろな方法を通して語りかけておられる。私の所に来なさいと…。そのひとつが「苦難」かもしれません。

マタイ伝11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。



From juncoop To at 2006 04/16 21:18 編集 返信

今日の音楽

皆さん、こんばんわ・・お休みはいかがお過ごしですか?昨日からの雨もやみ晴天となりました。

今日は久しぶりにCDやDVDを手に入れました。

●バッハ/アルトのためのカンタータ集

・カンタータ第170番「喜ばしい安息、好ましい魂の歓喜」
・カンタータ第54番「いざ、罪に抗すべし」
・カンタータ第169番「神のみにぞわが心を捧げん」
・カンタータ第200番「われは彼の名を告げん」
・カンタータ第53番「いざ、待ち望みたる時を告げよ」(作詞:M.フランク)
 (ドイツ語歌詞、英語対訳付き)

 マリアンネ・ベアーテ・シェラン(A)
 ケルン・バッハ合唱団
 ケルン室内管弦楽団
 ヘルムート・ミュラー=ブリュール(指揮)

1回軽く流して聴いてみたのですが、演奏としては古楽器奏法的な感じでしたね。本当に古楽器ではないかと思ったりもします。演奏として近いものを思い浮かべるとレオンハルトまでとはいかないのですが、ルーシンクあたりになるかもしれません。170番はともかく、54番あたりはルーシンクぽい感じでちょっとレガートであるところはリリングにも似ている演奏です。200番はVn2本と通奏低音によるバックでテンポはかなり速く、この辺はリリングの演奏に近いです。まだまだ聞き込みしなければなりません。


●ヘンデル/オラトリオ「マカベアのユダ」Judas Maccabaeus HWV 63
• 演奏者 : Wunderlich Fritz (Tenor) Welter Ludwig (Bass) Pold Naan (Tenor) Giebel Agnes (Soprano) Falk Julia (Mezzo Soprano)
• 指揮者 : ラファエル・クーベリック指揮
• 楽団 : バイエルン放送交響楽団/合唱団

1963/ORFEO

スポーツ競技の優勝を表彰する音楽「見よ勇者は帰る」だけが特別有名な合唱があることで知られるこのオラトリオは初めて聞きました。他の演奏なら手に入れませんのですが、クーベリックとなると欲しくなりましたね。ヘルムート・コッホによる演奏もあったのでちょっと迷ったのですが、バイエルン放送交響楽団とクーベリックとなるとやはりこっちを選んでしまいました。クーベリックと同メンバーによるCDはクセルクセスもあるのですが、これは廃盤のようです。 この曲も初聴きなので聞き込みしないと真価はまだまだわかりません。


●グルック:歌劇『オルフェオとエウリディーチェ』全曲
 ヨッヘン・コヴァルスキー
 ジリアン・ウェブスター
 ジェレミー・バッド
 ジャン=ピエール・ブランシャール
 ウィリアム・エドワーズ
 クリストファー・マクマナス(ハープシコード通奏低音)
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
 ハルトムート・ヘンヒェン指揮
 演出: ハリー・クプファー
 美術:ハンス・シャヴェルノッホ
 衣装:エレオノーレ・クライバー
 TV監督: ハンス・フルシャー

 1991年、コヴェント・ガーデン王立歌劇場ライヴ

今回DVDで手に入れたものですが、以前CDではリヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団を聴いていまして、とてもいい音楽なのでぜひ画像で見たいと思っていたものです。コヴェントガーデンの一流の演奏だと思うのでこれから見るのが楽しみです。オルフェオは本当はメゾソプラノで聞きたいのですが、カウンターテナーによるものです。


From juncoop To juncoop5@goo at 2006 04/15 15:00 編集 返信

マーラーのアダージェット

皆さん、こんにちは、お元気でしょうか? 新年度になりお忙しいことと存知ます。

私は、仕事の方でも先週いろんな問題に遭遇し、ちょっと疲れています。 今は癒されたい気分でマーラーのアダージェットを聞いています。

別に悲観的に思っている訳ではないのですが、まあ人生やっているといろんなことがありまして、苦境を脱する努力をしないといけないことが多いですね。なんとか片付けて平穏な生活を送りたいものです。

マーラーの交響曲第5番のアダージェットはなんとも諦めとか切なさを感じる美しい音楽で決して希望に満ちたものではありません。そこにあるのは人間の弱さとか、悲しみとか表現されていて、失望した人間を表現するような感じもありますね。そして安らぎもあります。この音楽に死の影が見え隠れすることは否めません。

私はこのHPでただ音楽だけ語るというのではなく、人生と音楽という結びつけで、いつも語ってまいりました。いい音楽に巡りあうと幸せを感じますし、日常の心境の変化によっても聴く音楽も変わりますし、それが聞き手にとって心を癒すものであればいいと思いますね。

マーラーを聴くようになると、私はちょっと心が病んでいると、いったことがあるのですが、今がその時なんだと思います。


From juncoop To at 2006 04/11 21:16 編集 返信

ソドムとゴモラの町か、ノアの箱舟か・・

皆さん、こんばんわ・・雨がひどいですね・。

skunjpさんの宗教的なお話から、思いついたのですが、旧約聖書から私の心境を考えると、創世記とか思い出します。

アブラハムとロトの話で、主はアブラハムのテントに寄ったとき、「ソドムとゴモラの町の叫びは大きく、その罪は重い」と語られたのですが、アブラハムが主に「町の中に10人でも善のある人がいたとしても町を滅ぼすのですか?」と質問したとき、主は「その10人のために町は滅ぼさない」と約束された、しかし主はロトの家族を助けて、町は滅ぼされた。
ノアの箱舟は主がこの地上の罪が重く、バベルの塔を建てるなど人間の驕りを非難され、ノアに箱舟を作ることを命じられてノアとその家族は生き延びるのであるが、その他は全て海に飲み込まれて滅んでしまった。どちらの話も、神が我々を滅ぼされることが共通しています。

では企業というのは、1つの集団であり、社員や協力会社の家族までも養っています。その企業が滅ぼされる=市場から追放される。というのは、まさに神に滅ぼされるような物です。それではあなたがたは、企業という船と共に全力を尽くして共に沈むのか?それともノアの箱舟のように自分だけは、救われるのか?
どの道を選択するのでしょうか、あるいは時代の運命に選択されるのか? skunjpさんの解釈よろしくお願いします。

苦難は当分続く・・・。皆さんのご意見お待ちしてます。


【今日の音楽】


●バッハ/カンタータ第105番「主よ、裁きたもうことなかれ(Herr gehe nicht ins Gericht)」BWV.105(1723)

ヘルムート・リリング指揮
バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト/ゲッヒンガー・カントライ・シュトゥットガルト

BMSバッハ・エディション


主よ、裁きたもうことなかれというのは、今日の話題にはぴったりな音楽です。この冒頭合唱の祈るような悲壮感はすごいものがあります。マタイの冒頭合唱に匹敵するような苦悩に満ちた合唱。ただ感銘を受けるばかり。リリングの場合、冒頭の4声合唱はソリストに歌わせているのが特徴でして、あとから合唱で重く歌われるそのギャップがまたいいですね。リヒターとかレーマンに比べるとちょっと弱弱しい雰囲気はあるものの、その深さは格別なものを感じます。第3曲ソプラノ・アリアの弦のざわめきの低音無しの不安なアリアがまた美しいです。第4曲からは不安は無くなり雰囲気は温かくなるのがいいですよね、第5曲のホルンを伴うテノールのアリアが救われます。この第105番はバッハのカンタータでも私が最も好きなカンタータとなりました。


From Skunjp To at 2006 04/11 17:48 編集 返信

業績と信仰

junさん、皆さん、こんにちは。

会社の業績は頭の痛い問題ですね。

ただし私の場合はこれを前向きに捉えるようにしています。


私はクリスチャンですので、聖書的な発想をするのですが、聖書では何事においても「自分の力、自分の能力、自分の知恵」を放棄するように勧められています。なぜならそれは自分の人間的な力を誇る道につながり、信仰とは正反対の道だからです。

そして聖書では徹頭徹尾、神様に頼ることを勧められてます。…それが信仰だと。「信仰とは信頼だ」ということです。

どのような業績の悪化の中にあっても、神様の導きを信じ、「自分の力、知恵」ではなく「神様の力、知恵」が与えられるように祈ります。そうすると、業績が改善したときに、自分の力ではなく、神様の力の偉大さを誉め称えるようになります。

  詩篇50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。



と言うことは、業績の悪いときにこそ、すべてを神様に頼り、「すべてを神様の御手に委ねる」絶好のチャンスとなります。

委ねることが出来ると「心の平安」がやってきます。そして、気が付いてみると不思議に業績も上向いて一段落しています。


※私も先日、「フーガの技法」をミュンヒンガーで聴きました。弦合奏主体の演奏で、どこか神秘的な悲しみと、しかしそこに光が見えるような演奏だと思いました。またレーデルの「音楽の捧げもの」のモノラル盤も聴きましたが、ステレオ盤とはまた違った長所があります。モノラルの方がひきしまっていますね。レーデルのフルートはいぶし銀ながら、テクニック的には本当に巧いです。この人は全く玄人ごのみの演奏家ですね。